2020年11月16日月曜日

◆鈴木プロフィール

鈴木正人プロフィール 

 

1960年3月、栃木県日光市(旧・今市市)生まれ、現在、埼玉 

県在住、妻一人(あたりまえですが・・)子供3人、母の6人家族 

 
現在、数十社の保険や、投資信託などの金融商品、住宅仲介などを 

扱う会社に勤務する傍ら、 

自身の会社を立ち上げ、お金とマインドセット、健康に関する情報 

提供を行っています。
 
保険はもとより、ファイナンシャルプランナーとして、豊かな人生 

のための資産形成、投資、リスクマネジメント、住宅購入、住宅ローン 

など、累計700件以上のご相談をいただいてます。
 
また、シニアライフカウンセラー養成講座などで、公的年金、401K 

、つみたてNISAなど、投資に関する講師も務めました。


◆飲食業時代 

ファイナンシャルプランナーになる前は、23年間、日光(旧今市市)で

飲食店を経営 

 

中2父が亡くなったため、家業を継ぐことなり、 

 

1978年に高校を卒業後、

アメリカンドリーム『BENIHANA』ロッキー青木 で有名な『レストラン

紅花』(東京・旧渋谷東急プラザ9階)で4年間 料理修行 

 
1982年22歳の時に日光市に帰郷、洋食・今市会館の3代目として、 

洋食レストラン『WoodyBell(ウッディベル)』を開業 
  

当時、今から40年ほど前のことになりますが、その頃に地元で提供され

ていなかった『ドリア』を始め、


チーズ (和牛)ハンバーグ、デミソース・オムライスなどが、るるぶ・

読売新聞、栃木ラジオなどで紹介され、県内外からお客様に来ていただ 

けるようになりました。


また、 
地元のケーブルテレビで「Woody鈴木の料理教室」という番組タイ トル

で、ご家庭でもプロの洋食(オムライス、ハンバーグ、ナポリタン など

作れるようにと、料理を仕込みから実演、作り方のコツなど 地域に

発信していました。


◇一瞬の繁栄から撤退へ 

 

その後、商工会議所の街づくり懇談会の委員や、 観光協会の監事を 

務めていたこともあり、 空洞化した中心市街地を活性化する目的で、  

2000年に牛骨ラーメン店、2001年には牛丼 専門店を開業、 
 

牛骨ラーメン店は17席のお店ながらオープン3日間で1000名のお客様 

が来店 
その後も、一日あたり、平均170名~200名が来店する 繁盛店となった。 

 

下野新聞社から発刊された、『栃木「ベストオブラーメン30」』

県央 ップで選出され、同タイトルの冊子(下野新聞社刊)にも掲載

された 


  

  

順調に売上を伸ばしていた『牛骨ラーメン』店も、2001年9月に 

発生した『狂牛病』の影響で経営が悪化 

牛骨を豚骨に変えるなどしても業績は回復せず、 

4年後の2005年、すべての店を閉めることに。。。 
 
◆猛省 

 

当時、バブル時代からの考え方が残っていて、借入で 資金を廻し、利益は 

プールせず、次の投資にまわしていた、 
 
小金ができた30歳の時に、商品取引外務員の言葉に乗せられて、先物取引 

(粗糖)で1000万の損失を出して資産が減少していたことも原因だった 

 
お金と投資に対する考え方がマチガッていたことを猛反省、 
 

以来、お金のプロになって、自分のような経験をする人を一人でも減ら 

こと、豊かな人生を築くためには、お金がたいへん重要なものであること 

から、FP(ファイナンシャルプランナー)の道を志すことに。。 

 
◆失敗の経験から、事業の成功や投資とは何かを学び、投資の 

基本となる『成長するものにお金を預ける』という考え方、 

 
日比谷公園を造った本多清六さんの『勤倹貯蓄』と『四分の一天引 

き貯金法』を蓄財術の基本し、 

 
これらの基本的な考え方を知らずに投資をし、勧められるままに 

金融商品に加入した人が多いなか、 

私のお客様は2011年から2020年で「保険で」資産を1.8倍~2倍 

に増やすことができている。 

 

今、401KやつみたてNISAで資産作りをされるようになったが、 

長い年月の間に数百万円単位で違いが出て、溜まるお金にも、2~ 

10倍の差が出ることもあるので、知らないということは、本当に 

もったいないと思う 
 
◆その他の経歴 

日光市(旧今市市)時代、35歳の時に自治体の区長を2期4年勤め、 

自治会公民館の建設、生涯学習の定着、自主防災組織の立ち上げなど 

に携わった。 
 

また、同時期、市の仕事として、観光協会幹事、イベント実行委員会 

・委員を拝命し、空洞化した中心市街地の活性化にも参加した。 

 

※写真は市から授与された感謝状 



 


◆『元気になる今市(日光)のためのアイディア』コンテスト 

日光市(旧今市市)で行われた、上記のコンテストに、独自の 

アイディアを出品 
 

個人編では、
『人間の幸せは一過性のものではなく、継続しなければ意味がない。 
ずっと元気でいるためには、『心(マインド)・お金・健康』の、 

3つのバランスを取れなきゃだめで、 

この3つのバランスが崩れたときに、自分自身で適正化できるよう

にすること持続的に良い状態を維持することができること、

 

それらの教育を公的機関で行い、『人生で多少のことがあっても、 

元気で居つづけられる人を多数輩出しよう』、


また、地域編として、

地域活性化のためには、「知の流出を抑え、知的人材が還流する

政策が重要」であること、 

つまり、とかく地方では、優秀な人材が都会に出てしまうので、流出

させないこと、還ってくるように、外から受け入れられるような施策を

打ち出すことが大事であること、

さらには、

イベントや行事を行うに際しても、参加者が恥ずかしがっているような 

レベルではなく、来場者が感動するレベルまで仕上げ、

日帰り型のイベントから、滞在型イベントに変えることで、経済的な

効果が高まることなどを提言した。




◆『船村徹記念館』 
 
その中で、年間500万人もの観光客が素通りする今市に観光客を 

誘導し、中心市街地の活性化に結び付けるためのアイディアとして、 
 

今は亡き、日本歌謡界の重鎮である船村徹さんが、地元の今市高校に 

通っておられたこともあって、 

船村さんの偉業を残そうと、『船村徹記念館』の建設を提案 

 

浅草の『美空ひばり記念館』「浅草おかみさん会と相互交流して 

活性化しようというアイディアが一部実現し、 
 
現在『船村徹記念館』は賑わいを見せ、中心市街地の活性化に寄与 

しているようです。。 
 
以上。。







◆資金流出を最小限に抑え豊かな老後を作るための考え方

◆動画  『旅立つ日』(作 秋元康) ◇保険は「ラスト・ラブレター」   私の父は、中学2年生のときに交通事故で亡くなりました。 中学2年の冬にスキー教室があったのですが、 私は、母に、 1万5千円を 出して欲しいと言えず、 友達や先生に『スキー嫌いだ...