◆鈴木正人プロフィール
1960年3月、栃木県日光市(旧・今市市)生まれ、現在、埼玉
県在住、妻一人(あたりまえですが・・)、子供3人、母の6人家族
現在、数十社の保険や、投資信託などの金融商品、住宅仲介などを
扱う会社に勤務する傍ら、
自身の会社を立ち上げ、お金とマインドセット、健康に関する情報
提供を行っています。
保険はもとより、ファイナンシャルプランナーとして、豊かな人生
のための資産形成、投資、リスクマネジメント、住宅購入、住宅ローン
など、累計700件以上のご相談をいただいてます。
また、シニアライフカウンセラー養成講座などで、公的年金、401K
、つみたてNISAなど、投資に関する講師も務めました。
◆飲食業時代
ファイナンシャルプランナーになる前は、23年間、日光(旧今市市)で
飲食店を経営、
中2で父が亡くなったため、家業を継ぐことになり、
1978年に高校を卒業後、
アメリカンドリーム『BENIHANA』ロッキー青木 で有名な『レストラン
紅花』(東京・旧渋谷東急プラザ9階)で4年間 料理修行、
1982年22歳の時に日光市に帰郷、洋食・今市会館の3代目として、
洋食レストラン『WoodyBell(ウッディベル)』を開業
当時、今から40年ほど前のことになりますが、その頃に地元で提供され
ていなかった『ドリア』を始め、
チーズ (和牛)ハンバーグ、デミソース・オムライスなどが、るるぶ・
読売新聞、栃木ラジオなどで紹介され、県内外からお客様に来ていただ
けるようになりました。
また、
地元のケーブルテレビで「Woody鈴木の料理教室」という番組タイ トル
で、ご家庭でもプロの洋食(オムライス、ハンバーグ、ナポリタン など
作れるようにと、料理を仕込みから実演し、作り方のコツなどを 地域に
発信していました。
◇一瞬の繁栄から撤退へ
その後、商工会議所の街づくり懇談会の委員や、 観光協会の監事を
務めていたこともあり、 空洞化した中心市街地を活性化する目的で、
2000年に牛骨ラーメン店、2001年には牛丼 専門店を開業、
牛骨ラーメン店は17席のお店ながらオープン3日間で1000名のお客様
が来店、
その後も、一日あたり、平均170名~200名が来店する 繁盛店となった。
下野新聞社から発刊された、『栃木「ベストオブラーメン30」』の
県央 のトップで選出され、同タイトルの冊子(下野新聞社刊)にも掲載
された
順調に売上を伸ばしていた『牛骨ラーメン』店も、2001年9月に
発生した『狂牛病』の影響で経営が悪化、 牛骨を豚骨に変えるなどしても業績は回復せず、 4年後の2005年、すべての店を閉めることに。。。
当時、バブル時代からの考え方が残っていて、借入で 資金を廻し、利益は プールせず、次の投資にまわしていた、 (粗糖)で1000万の損失を出して資産が減少していたことも原因だった。 以来、お金のプロになって、自分のような経験をする人を一人でも減らす こと、豊かな人生を築くためには、お金がたいへん重要なものであること から、FP(ファイナンシャルプランナー)の道を志すことに。。 基本となる『成長するものにお金を預ける』という考え方、 き貯金法』を蓄財術の基本とし、 金融商品に加入した人が多いなか、 私のお客様は2011年から2020年で「保険で」資産を1.8倍~2倍 に増やすことができている。
今、401KやつみたてNISAで資産作りをされるようになったが、 長い年月の間に数百万円単位で違いが出て、溜まるお金にも、2~ 10倍の差が出ることもあるので、知らないということは、本当に もったいないと思う 日光市(旧今市市)時代、35歳の時に自治体の区長を2期4年勤め、 自治会公民館の建設、生涯学習の定着、自主防災組織の立ち上げなど に携わった。 また、同時期、市の仕事として、観光協会幹事、イベント実行委員会 ・委員を拝命し、空洞化した中心市街地の活性化にも参加した。
※写真は市から授与された感謝状 ◆『元気になる今市(日光)のためのアイディア』コンテスト 日光市(旧今市市)で行われた、上記のコンテストに、独自の アイディアを出品、 個人編では、 3つのバランスを取れなきゃだめで、 この3つのバランスが崩れたときに、自分自身で適正化できるよう にすることで、持続的に良い状態を維持することができること、
それらの教育を公的機関で行い、『人生で多少のことがあっても、 元気で居つづけられる人を多数輩出しよう』、 また、地域編として、 地域活性化のためには、「知の流出を抑え、知的人材が還流する 政策が重要」であること、 つまり、とかく地方では、優秀な人材が都会に出てしまうので、流出 させないこと、還ってくるように、外から受け入れられるような施策を 打ち出すことが大事であること、 さらには、 イベントや行事を行うに際しても、参加者が恥ずかしがっているような レベルではなく、来場者が感動するレベルまで仕上げ、 ◆『船村徹記念館』 誘導し、中心市街地の活性化に結び付けるためのアイディアとして、 今は亡き、日本歌謡界の重鎮である船村徹さんが、地元の今市高校に 通っておられたこともあって、 船村さんの偉業を残そうと、『船村徹記念館』の建設を提案、
浅草の『美空ひばり記念館』(「浅草おかみさん会」)と相互交流して 活性化しようというアイディアが一部実現し、 しているようです。。 |