2020年11月16日月曜日

◆資金流出を最小限に抑え豊かな老後を作るための考え方



◇保険は「ラスト・ラブレター」 


私の父は、中学2年生のときに交通事故で亡くなりました。

中学2年の冬にスキー教室があったのですが、私は、母に、
1万5千円を出して欲しいと言えず、
友達や先生に『スキー嫌いだから・・・』と、嘘をついて
欠席しました。

その時の恥ずかしい気持ち。情けなく、
切ない気持ちを、今も忘れることができません。

私は、2009年から2014年まで、
仕事の傍ら大学の経済学部の通信教育課程で
学んでいました。



本来、大学は高校卒業後に進学するものですよね。。。






昨日まで元気だった人が突然いなくなる。
残された家族、それぞれの人生は、万が一のときの準備をしていたか、
いないかにって、その後まったく違った人生になる

私は、それを身を以って体験いたしました。

欧米では、保険は『ラスト・ラブレター』と呼ばれています。

自分にもし万が一があった場合、残された家族の環境はどう変わるのか?

妻と子はどこに住むのか?

子供たちは、どういう学校に行って、
どういう進路を歩むのか?

持ち家であればリフォーム費用は?

塾や習い事、部活の送り迎えに車が
必要であれば、その維持費と買換えの
費用は?




家電製品はどれくらいの周期で買換え、いくらぐらい必要なのだろう。

お盆とお正月の里帰りの費用は?
子供たちとの旅行の費用は?

生活が色あせないようにと願う妻の趣味の費用は?

子供たちがキチンとした栄養が摂れるように食費を考え、光熱費、通信費、
日用品費、理美容品費、冠婚葬祭・お中元やお歳暮の費用は・・・。

自分がいなくなっても、せめて、何も生活が変わらずに済むように・・・、
という思いを込めて保険に加入するので、『ラスト・ラブレター』、
そう呼ばれているのです。
      




◇相互扶助の崇高な理念

人生では、すべての経済的なリスクを、個人の努力だけで解決すること
はできません。

それができる人は一部のごくごく限られた人でしょう。

保険の必要性は個人の努力を超えた部分を補うところにあります。
『相互扶助』の理念の下、多くの人々が保険に加入することによって、
経済的なリスク補い合っているのです。

 
自分に必要な保障は、独身、ご夫婦、
また、子供さんをおもちのご家庭では、
それぞれ異なります。

数多くの相談をお受けして感じることは、

自分に(家族に)必要な保障の種類、保障額、期間などについてキチンと理解して
いる方は、ほとんどいらっしゃらない、
ということです。


そういう状況で、保険に加入するのですから、自分に合っていないものに加入してしまうことは、仕方のないことかもしれません。



◇『保険』の前に公的な保障を考慮する

自分にどの程度の保障が必要かは、まず、自分と
自分の家族に、公的な保障がどれくらい用意されて
いるかを知る必要があります。



遺族年金】、【高額療養費制度】、健康保険組合の【傷病手当】や
付加給付制度】など、


会社員(常時700名以上雇用されている)であれば、健康保険組合によって、
法定給付の他に付加給付いう制度があり、

医療費の自己負担限度額2万円~4万円程度(月額)で良く、それを超える額が、
健康保険組合から給付されたり、

病気で休んでも、16ヶ月間報酬月額の2/3に加え、1015%が上乗せ
給付される傷病手当がある場合もあります。

さらには、
特例退職被保険者制度の特定健康保険組合2017年度61健保組合)】
であれば、



74歳まで、現在の健康保険組合に加入でき
『付加給付制度』があれば、
自分と自分の家族の一か月の医療費の自己負担額が、74歳まで2~4万円程度
済むという、恵まれた方もいらっしゃいます。


私は、相談に来られた方に、
「あなたの場合、その保険は必要ないのではないですか?」とアドバイスする
ことがよくあります。

相談の結果(すべての方が節約できるとは限りませんが)、
5千円~1万円の保険料を節約できることも珍しくありません。




◇掛捨て保険は必要最小限に抑えて貯蓄へ


節約できたお金は、教育資金積立や、住宅購入資金、

住宅ローンの繰上げ返済、海外旅行費用など、人生を楽しむためのお金や、老後の資金に廻すことができます。


公的年金の現状を考えると、老後の生活資金を貯める
必要があるため、


必要な保障は確保しなければなりませんが、必要以上の掛け捨ての
保険に加入している余裕は本来無いはずなのです。

◇保険の欠点

保険の欠点は、将来の物価上昇に対応できないことです。

例えば、
30歳の人が、将来のお葬式費用を見込んで200万円の保険に入ったとします。

男性の平均寿命は約80歳ですが、50年後の80歳で亡くなった時、
果たして200万円でお葬式が出来るのだろうか、ということです。。。


このような問題に対応できるよう、


保険の将来価値が目減りしない、
物価上昇をカバーできる特性も
兼ね備えた『変額保険』という
商品も存在します。






皆さんは、私たちの年金、国民年金、厚生年金保険も元本保証のない
『変額年金』であることをご存知でしょうか?


平成13年から現在まで私たちが支払ってきた年金保険料は、こちらで
運用されています

私たちが将来受け取る年金が、元本保証のないもので運用されているにも
関わらず、デモも抗議も起きないのは、その実績によるのです

※GPIFのこれまでの運用実績は → こちら

長く続く超低金利時代、銀行に預けておいてもほとんど増えない
現状に、厚生労働省、金融庁からも税制優遇されたあらたな金融商品が
出ていますし、

保険にも変額保険というものがあり、積立金がもし元本割れしたとしても、
死亡保障額は最低保証されており、最悪でもご遺族には支払った以上の
お金が支払われることとなっています(年齢によって異なる場合があります)

◆自己責任の時代

このような保険の存在を知って、限られた自分の収入のなかから、
賢く貯めなければ、明るい将来はやってこないと私は思います。

詳しくはセミナー、個別相談でお話しさせていただいております
ご用命、ご相談はお気軽に下記まで。
押売り、説得、強制、一切ありませんのでご安心を。。。

鈴木 正人 

E-mail  : m.suzuki.ihd@gmail.com
Mobile : 080-4357-7223
LineID:suzuki0326masato


【保有資格】
・AFP(ファイナンシャルプランナー)
・住宅ローンアドバイザー
・相続診断士
・証券外務員Ⅱ種

◆鈴木プロフィール

鈴木正人プロフィール 

 

1960年3月、栃木県日光市(旧・今市市)生まれ、現在、埼玉 

県在住、妻一人(あたりまえですが・・)子供3人、母の6人家族 

 
現在、数十社の保険や、投資信託などの金融商品、住宅仲介などを 

扱う会社に勤務する傍ら、 

自身の会社を立ち上げ、お金とマインドセット、健康に関する情報 

提供を行っています。
 
保険はもとより、ファイナンシャルプランナーとして、豊かな人生 

のための資産形成、投資、リスクマネジメント、住宅購入、住宅ローン 

など、累計700件以上のご相談をいただいてます。
 
また、シニアライフカウンセラー養成講座などで、公的年金、401K 

、つみたてNISAなど、投資に関する講師も務めました。


◆飲食業時代 

ファイナンシャルプランナーになる前は、23年間、日光(旧今市市)で

飲食店を経営 

 

中2父が亡くなったため、家業を継ぐことなり、 

 

1978年に高校を卒業後、

アメリカンドリーム『BENIHANA』ロッキー青木 で有名な『レストラン

紅花』(東京・旧渋谷東急プラザ9階)で4年間 料理修行 

 
1982年22歳の時に日光市に帰郷、洋食・今市会館の3代目として、 

洋食レストラン『WoodyBell(ウッディベル)』を開業 
  

当時、今から40年ほど前のことになりますが、その頃に地元で提供され

ていなかった『ドリア』を始め、


チーズ (和牛)ハンバーグ、デミソース・オムライスなどが、るるぶ・

読売新聞、栃木ラジオなどで紹介され、県内外からお客様に来ていただ 

けるようになりました。


また、 
地元のケーブルテレビで「Woody鈴木の料理教室」という番組タイ トル

で、ご家庭でもプロの洋食(オムライス、ハンバーグ、ナポリタン など

作れるようにと、料理を仕込みから実演、作り方のコツなど 地域に

発信していました。


◇一瞬の繁栄から撤退へ 

 

その後、商工会議所の街づくり懇談会の委員や、 観光協会の監事を 

務めていたこともあり、 空洞化した中心市街地を活性化する目的で、  

2000年に牛骨ラーメン店、2001年には牛丼 専門店を開業、 
 

牛骨ラーメン店は17席のお店ながらオープン3日間で1000名のお客様 

が来店 
その後も、一日あたり、平均170名~200名が来店する 繁盛店となった。 

 

下野新聞社から発刊された、『栃木「ベストオブラーメン30」』

県央 ップで選出され、同タイトルの冊子(下野新聞社刊)にも掲載

された 


  

  

順調に売上を伸ばしていた『牛骨ラーメン』店も、2001年9月に 

発生した『狂牛病』の影響で経営が悪化 

牛骨を豚骨に変えるなどしても業績は回復せず、 

4年後の2005年、すべての店を閉めることに。。。 
 
◆猛省 

 

当時、バブル時代からの考え方が残っていて、借入で 資金を廻し、利益は 

プールせず、次の投資にまわしていた、 
 
小金ができた30歳の時に、商品取引外務員の言葉に乗せられて、先物取引 

(粗糖)で1000万の損失を出して資産が減少していたことも原因だった 

 
お金と投資に対する考え方がマチガッていたことを猛反省、 
 

以来、お金のプロになって、自分のような経験をする人を一人でも減ら 

こと、豊かな人生を築くためには、お金がたいへん重要なものであること 

から、FP(ファイナンシャルプランナー)の道を志すことに。。 

 
◆失敗の経験から、事業の成功や投資とは何かを学び、投資の 

基本となる『成長するものにお金を預ける』という考え方、 

 
日比谷公園を造った本多清六さんの『勤倹貯蓄』と『四分の一天引 

き貯金法』を蓄財術の基本し、 

 
これらの基本的な考え方を知らずに投資をし、勧められるままに 

金融商品に加入した人が多いなか、 

私のお客様は2011年から2020年で「保険で」資産を1.8倍~2倍 

に増やすことができている。 

 

今、401KやつみたてNISAで資産作りをされるようになったが、 

長い年月の間に数百万円単位で違いが出て、溜まるお金にも、2~ 

10倍の差が出ることもあるので、知らないということは、本当に 

もったいないと思う 
 
◆その他の経歴 

日光市(旧今市市)時代、35歳の時に自治体の区長を2期4年勤め、 

自治会公民館の建設、生涯学習の定着、自主防災組織の立ち上げなど 

に携わった。 
 

また、同時期、市の仕事として、観光協会幹事、イベント実行委員会 

・委員を拝命し、空洞化した中心市街地の活性化にも参加した。 

 

※写真は市から授与された感謝状 



 


◆『元気になる今市(日光)のためのアイディア』コンテスト 

日光市(旧今市市)で行われた、上記のコンテストに、独自の 

アイディアを出品 
 

個人編では、
『人間の幸せは一過性のものではなく、継続しなければ意味がない。 
ずっと元気でいるためには、『心(マインド)・お金・健康』の、 

3つのバランスを取れなきゃだめで、 

この3つのバランスが崩れたときに、自分自身で適正化できるよう

にすること持続的に良い状態を維持することができること、

 

それらの教育を公的機関で行い、『人生で多少のことがあっても、 

元気で居つづけられる人を多数輩出しよう』、


また、地域編として、

地域活性化のためには、「知の流出を抑え、知的人材が還流する

政策が重要」であること、 

つまり、とかく地方では、優秀な人材が都会に出てしまうので、流出

させないこと、還ってくるように、外から受け入れられるような施策を

打ち出すことが大事であること、

さらには、

イベントや行事を行うに際しても、参加者が恥ずかしがっているような 

レベルではなく、来場者が感動するレベルまで仕上げ、

日帰り型のイベントから、滞在型イベントに変えることで、経済的な

効果が高まることなどを提言した。




◆『船村徹記念館』 
 
その中で、年間500万人もの観光客が素通りする今市に観光客を 

誘導し、中心市街地の活性化に結び付けるためのアイディアとして、 
 

今は亡き、日本歌謡界の重鎮である船村徹さんが、地元の今市高校に 

通っておられたこともあって、 

船村さんの偉業を残そうと、『船村徹記念館』の建設を提案 

 

浅草の『美空ひばり記念館』「浅草おかみさん会と相互交流して 

活性化しようというアイディアが一部実現し、 
 
現在『船村徹記念館』は賑わいを見せ、中心市街地の活性化に寄与 

しているようです。。 
 
以上。。







◆資金流出を最小限に抑え豊かな老後を作るための考え方

◆動画  『旅立つ日』(作 秋元康) ◇保険は「ラスト・ラブレター」   私の父は、中学2年生のときに交通事故で亡くなりました。 中学2年の冬にスキー教室があったのですが、 私は、母に、 1万5千円を 出して欲しいと言えず、 友達や先生に『スキー嫌いだ...